一方で施設を派遣しない国からの貿易も広州で恩恵的に認めていた
→イギリスは自由貿易を求め、使節団を派遣…「朝貢使節」として要求に応じられなかった
⇒インド産アヘンの密輸
三角貿易
→林則徐(りんそくじょ)…イギリス商人のアヘン没収
⇒1840年アヘン戦争
イギリス…汽走軍艦
→長江から南京へ…清の降伏
⇒1842年南京条約
・上海(しゃんはい)など、5港を開港(上海・寧波・厦門・広州・福州)
・イギリスへ香港島を割譲・賠償金
・一方的な最恵国待遇
・関税自主権がない
上海では租界(期限付き植民地)形成
→が、中国への工業製品の輸出が期待したほどではない…
⇒1856年第2次アヘン戦争(アロー戦争)
→1860年北京条約
・天津(てんしん)漢口など11港の開港
・北京への公使の駐在
・キリスト教布教
・アヘン貿易の合法化
ここで弱った清にロシアがつけ込んだ!…清からアムール川以北をもらう(アイグン条約)
さらに1860年沿海州獲得
清では…増税
→拝上帝会(キリスト教の影響を受けている)を組織した洪秀全…太平天国(南京首都)
⇒太平天国の乱←1864年卿勇(きょうゆう)…曽国藩・李鴻章+常勝軍(アメリカ・イギリス)
洋務運動…近代化(中体西用の考え方)…技術的な面のみ取り入れ、政治などは取り入れない
→国家体制としては1861年総理各国事務衙門をおいただけ
朝鮮…大院君(なんかいろいろ敵に回したけど結局勝った凄い奴)
→斥和碑(斥洋碑)
1792年ラクスマン(ロシア使節)…根室に来航
→1804年レザノフ…長崎に来航
→待たせた上に「鎖国」が「祖法」であるとして通商を拒絶
→蝦夷地の幕府施設攻撃して帰る
1820年代~捕鯨船が関東に上陸するようになる
⇒1825年異国船打ち払い令
→アヘン戦争での清敗北
→1842年天保の薪水給与令
水戸藩…尊王攘夷論提唱
1853年ペリー
老中首座安倍正弘…台場の建設など
1854年日米和親条約
・下田・箱館の開港等
⇒開国
蘭学…オランダ書籍の翻訳・反射炉の建設
幕府→蕃書調所(ばんしょしらべしょ)・講武所・長崎海軍伝習所
1856年ハリス
アヘン戦争での清敗北
⇒1858年日米修好通商条約(1855年イギリスとタイとのボーリング条約に習う)
・神奈川・長崎・新潟・兵庫・箱館の開港
・領事裁判権
・関税自主権がない
大老井伊直弼
→安政の大獄→1860年桜田門外の変
⇒幕府の権威がゆらぐ→公武合体…幕府と朝廷の融和
→徳川家茂と和宮(孝明天皇の娘)の結婚
・長州藩…下関で砲撃
・薩摩藩…生麦事件→薩英戦争
長州藩VS薩摩藩(幕府側)…禁門の変⇒長州藩敗北(第1次長州征討)
→髙杉晋作・桂小五郎の主導権回復
⇒西郷隆盛・大久保利通=💖=長州藩⇒薩長同盟…坂本龍馬
1860年咸臨丸(船)…使節団をアメリカへ
横浜…貿易が発展